「教師の同僚いじめ」について思うこと 自分の子がいじめに遭ったら…

どうも、ぎんのすけです。

 

最近のニュースでやっていますね、「東須磨小の教師いじめ」。

 

会社でも上司・同僚からのいじめ、ママ友のいじめ、隣人、親戚…数えだしたら世の中にはたくさん「いじめ」と括られているものがあります。

ニュースでは今回のことを「教師が同僚に集団でいじめ」と報道をしていました。

内容としては、羽交い締めにする・激辛カレーを無理やり食べさせる・車の上に乗る・車の中でワザと飲み物をこぼす等々…。ほんとクッソみたいなしょうも無いことをキャッキャ笑いながら楽しそうにやっていたみたいで…。

その現場を目撃した生徒もいるという一部報道もありました。

 

ただただサイテーな人間だな、と思います。

 

この人間たちが生徒に「いじめはいけません」なんて指導していたと考えると、「どの口が言っているんだ」と突っ込みたくなりますね。

特に今回は教職者。

「特に」教師を括ったのは、教師が本来生徒に指導すべき立場であることからです。

こんな人間から教わることは何もありません。

息子の学校にこんな先生が来るということになったら断固として反対したい。

 

もちろん、教師に限らず、どんな人間でも「いじめ」という暴力行為は許されるものじゃありません。

 

そして、幼稚園や保育園からもう一回人生をやり直してきたらいいのかもしれません。

 

早く刑事事件として取り上げ、逮捕された上で教員免許剥奪をしてほしいと思います。

間違っても辞職届は受理しないでほしい。退職金なんかあげる必要もないし、なんなら給料もあげなくてもいい。

 

広く「いじめ」が認識された事件は…

日本で初めて広く認識された「いじめ事件」はなんなのか…と思って調べてみたら、出てきました。

中野富士見中学いじめ自殺事件(なかのふじみちゅうがくいじめじさつじけん)とは、1986年(昭和61年)に東京都中野区で起きた男子中学生の自殺事件である。俗に「葬式ごっこ事件」とも言われ、学級担任がいじめに加担するなど日本で初めていじめ自殺事件として社会的に注目された事件

引用:Wikipedia

内容も本当にどうしようもないものです。

亡くなった被害者の方のご冥福をお祈り申し上げます。

 

こんな前から「いじめ」があったんだ…と思うと、日本が戦後の復興を遂げ、暮らしが豊かになった分現れた闇のような気もしますが、もともと身分社会だった日本にとっては「自分より弱いもの」を「虐げる」という行為はあったのかもしれません。

 

ただ、暮らしが豊かになり、大昔の身分制度もなくなり、現代では全く必要ない行為。

そんなことをやる暇があるなら、献血でも行ってこいよ、と思います。

 

自分の子供がいじめの被害者になったら…

主人とこの類の話は何度もしています。

 

昨今、何が起きるかわからない時代…。

善悪の区別がつかない人間もいるという現実。

年齢に関わらず、簡単に人を傷つけることができること。

自分は「楽しく」やっているつもりでも、相手にとっては「苦痛」であることがわからない人もいる。

 

もしも自分の子供が「いじめられているかも知れない…」と思ったら、子供に戦う気力があるなら見守るしかないと思います。

立ち向かい、戦い、子供自身が乗り越える力を持っているのであれば、私たちはそれを信じるしかないと思います。

 

ただ、戦うことができず、苦しむくらいなら「そんな学校行かなくてもいい」と言います。

人をいじめることで楽しむことしかできないくらいのレベルの人間しかいない学校・クラスには何も学ぶこともないし、そんなところにいても人生の時間の無駄だと、私は思います。

 

頑張って行く必要なんて全くない。

 

入学試験で苦労したかも知れないし、その学校に通うために努力はたくさんしたかも知れない。

でも、現在苦しんで心を病んで学校に行くくらいなら、「辞めようか」と提案します。

その上で、じゃあ今後どうしていくかを子供と話し合うという形であればいいと思います。

 

もちろん、他にも考えなければいけないいろんなことはあるかも知れませんが、「いじめ」は「乗り超えなければいけない」ではなく「無視した方がいい」ものだと思っています。

 

ちなみに、「いじめが理由での転校」について少し調べてみましたが、自治体や学校によって対応が違うようです。

事実確認とかいるんですかね?

子供が「いじめに遭っている」というカミングアウト自体が事実になっているのに、加害者や周りの生徒に対しての事実確認も必要ないと思うけど…。

 

「いじめ」は乗り越えなければならない困難ではない

例えば、試験だったり、コンクールや展覧会、コンテストや試合だったり…そういうのは学生がわかりやすく自分の価値や得意を見い出すために必要なことかも知れません。

大人になっても、それは変わらないですよね。

明快に自分の得意を誰にでもわかりやすく、個人の感情なしに点数化することができるので。

それに対して、努力をして何かしらの結果を得るということは、自分の市場価値をあげることにもなるし、何よりいい結果になれば自信にも繋がると思います。

結果が良くなかったとしても、次を見据えたり、向上心やさらなる努力を生むかも知れません。

 

でも、いじめに関しては乗り越えたところで、ターゲットが変わっただけならなんの解決にもならないし、乗り越えたところで何も得るものはないと思っています。

 

だからこそ、いじめには立ち向かうのではなく逃げればいいと私は思います。

逃げることは恥でもなんでもないし、自分の人生を有効に使うために、そんな連中に付き合う必要はない。

 

理想と現実は違う

つらつらと自分の理想を連ねてきましたが、現実に起こった時に、そもそも子供が話してくれるかどうかはわかりません。

上記で話したことはあくまでも、「自分がいじめに遭っている」と話してくれたということが前提になっています。

 

私自身、中学の時にいじめを含め一悶着あったことを親に話すことはありませんでした。

その時の家庭環境も含めて、親との関係性もあったのかも知れないですし、そんなことを親に話すことが恥ずかしいとかそういう気持ちはなかったけれど、自分から話すことはできませんでした。

 

でも、朝学校に行くふりをして学校に行かなかったり、テスト白紙で出したり。部屋に閉じこもってみたりとか、小さいいろんな形で「ちょっと普段とは違うぞオーラ」を出してみて、親の方からなんとなく話のきっかけを作ってくれたら、話したかも知れない…と思うことはたくさんあります。

そのころは、親と真面目に話すことなんてあったかなぁ…と思うくらい会話を覚えていません。

 

いつかは自分にも子供とそういう風に向き合わないといけない時期が来るのかも知れませんが、普段からの家庭環境、夫婦関係や親子関係を築いていくことが大事だと感じています。

 

いじめについてはニュースでも取り上げることが多い(ほんとはなくなればいいというのが願い)こともあり、子どもと話すきっかけになりやすいんじゃないかな…と思います。

学校で起きていることは親にはわからないことがたくさんあります。

普段から「いじめに遭ったら戦う必要なし」「逃げろ」「いじめをする方が低レベル」「いじめられる側に原因があるなんてことはない」と話しておくのも大事かも知れません。

ちなみにうちで、はいじめで自殺というニュースを見たときに「いじめられる側にも何か問題があるんじゃないか」「いじめなんかで自殺なんて弱ずぎる」等々の言葉を発する人がいたので、この人とは一生分かり合えないなと思いました。

 

子供が「親になら話そう…」と思えるような関係性を築いていけたらと考えています。

 

そのためには、私自身、嘘や相手をそそのかすようなこと、悲しませたり、追い込んだりするようなことをせず、ちゃんとした人間であることが大事だと考えています。

 

最後に…

いじめる側が低レベルであり、いじめられる側には原因はない。

これまで「自分の子供がいじめられたら…」と語ってきましたが、逆の可能性も無きにしも非ずだと思っています。

クラスでいじめが起き、傍観者となっていたらいつの間にか加害者側になっていたとか。

傍観者という存在自体がいじめを容認して、いじめの助長になっているから。

そもそも、いじめの主犯格的な存在になっていたら…。

 

そうならないためにも、今からの道徳教育が必要だと思います。

 

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